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西尾歴史マイスター 第3回学習会
税理士の伴 洋太郎(ばん ようたろう)@ban_tax240です。
好きな西尾名物は 三河一色産うなぎ です。
このたび、3回目の学習会を受講してきました!
今回学習したのは
- 平坂地区(平坂中学校区)
- 寺津地区(寺津中学校区)
以上の2地区の歴史です。
会場は中央ふれあいセンター
学習会場は前回と同じ、中央ふれあいセンターでした。
今回も超満員です。
平坂地区について学んだこと
地名の由来
平坂(へいさか)の地名は、台地から海へと緩やかに下るという意味で名付けられました。
事実この地区の大部分は、碧海台地と呼ばれる台地の上にのっています。
町人による新田開発
西尾市を流れる矢作川は、徳川家康の命により開削された過去があります。
1605年のことです。
開削によって運ばれた土砂は平坂地区に流れ込み、地区の入海はだんだん浅瀬となりました。
コレに目をつけた者たちによって、江戸時代から新田が次々と開発されます。
この地区の新田開発の多くは、大商人が幕府の開発許可を受けて行われました。
現在でもこの地区の新田には、多大な資金を投じた町人らの名前が多く残っています。
市川彦三郎さんの市川新田、新実惣右衛門さんの新実新田など。
地名に自らの名前が残るって、スゴイことですよね。
伴新田。
うん、僕の名前じゃ語呂が悪い。
平坂港の発展と衰退
1605年の矢作川開削によって流路が変わると、川船による水運が盛んになります。
上流からは年貢米が川を下り、平坂港から江戸へ運ばれました。
一方下流からは、三河湾沿岸で生産された塩が、岡崎市にある塩座を経由し、馬で豊田市の塩問屋まで送られ、更に信州まで運ばれたんです。
その後昭和になると陸上輸送が発達し、川船の需要は急激に減少していきました。
歴史とは全然関係ないんですけど、平坂港はハゼ、クロダイの釣り場として、お気に入りの場所です。
矢田姫の墓がある 養寿寺
奈良時代の806年創建と伝えられ、1461年に再興されたこの寺は、徳川家康の大叔母、矢田姫の墓がある寺として有名です。
その縁あって、家康から36石の朱印地を賜ったそう。
本堂の瓦には、葵の御紋が入っています。
ご縁が伺えますね。
農民武芸 棒の手
棒の手とは、愛知県各地で伝承された農民武芸で、県の文化財に指定されています。
平坂地区に伝わる棒の手は、鎌田流という流派で、豊田市の道場から伝承されたものだそうです。
現在も後継者育成に力が注がれ、祭礼で奉納されています。
下半身の角度かっけえ!
剣道の基礎を築いた資産家 石川錦一郎
平坂中学校は剣道の強豪校で、今回の学習会後に行われる中学剣道の全国大会にも、男女とも団体出場しています。
そんな平坂地区の剣道の基礎を築いたのが、資産家の石川錦一郎(1876〜1928)です。
錦一郎は幼い頃から剣道を習い、自分の屋敷にも道場を開いて、子どもたちの指導にあたりました。
また借金のカタとして手に入れた北海道の原野(渡島半島二海郡八雲町)を開拓し、国鉄の駅を2つと水力発電所まで造ったそうです。
すげえバイタリティだ。
鋳物を伝えた太田庄兵衛・九郎兵衛
平坂地区は鋳物産業が古くから盛んな地域です。
その基礎を作ったのが、近江から17世紀半ばにやってきた鋳物師、太田庄兵衛・九郎兵衛。
三河地区には、彼らの作った梵鐘などが数多く残っているといいます。
この地区で鋳物が発展した理由としては
- 平坂港があり、原材料や製品の輸送に都合が良かったこと
- 矢作川が運んだ砂が鋳物砂として利用できたこと
- 三河三都(豊橋・岡崎・西尾)のひとつとして、釜や鍋の需要が高かったこと
が考えられています。
寺津地区について学んだこと
地名の由来
寺を目指してきた船乗りたちが呼び始めたという説があります。
『津』とは港の意味です。
由来のとおり現在でも地区には、18か寺と多くの寺院があります。
大河内氏の氏神 寺津八幡社
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、大河内氏の祖、大河内顕綱が建立した神社です。
この地を治めた大河内氏の氏神で、歴代の領主から大切にされてきました。
1632年には東照大権現(徳川家康)が合祀され、その後徳川家光から朱印状を受けています。
本殿に掲げられている扁額は、徳川宗家16代 徳川家達の書によるもの。
境内の各所には、五三桐の紋が使われています。
源満国が建立 常福寺
平安時代のなかば、源満国が母の菩提のために建立したと伝えられる寺院です。
当時、勅命に背いた罪によって当地に流された満国が
「この地は永住の地にあらず、わが仮の宿なり。」
といったことから、この寺のある町名が『刈宿(かりやど)』になったと伝えられています。
このお寺の目玉、高さ14メートル鉄筋コンクリート製の大仏像です。
1928年、昭和天皇の即位を記念して建立されたといいます。
大佛は漁師の安全を祈願し、海の方角を向けて建てられたそうです。
裏側から胎内巡りもできます!
縄文の風習をうかがえる 枯木宮貝塚
現在は寺津中学校の校庭にある、枯木宮貝塚。
約3000年前の集落郡です。
26体発掘された人骨の多くは、仰向けの状態で体を折り曲げて埋葬(屈葬)されていました。
霊を封じ込める意図があったとされ、当時の風習を知る貴重な資料となっています。
またこの貝塚からは、犬だけが人間同様ていねいに埋葬されていました。
狩猟が生活の中心であったこの時代に、飼い犬が家族同然に大切にされていたことが伺えます。
ワンワンだいじ(´・ω・`)
知恵伊豆 松平伊豆守信綱
松平伊豆守信綱は、寺津城主であった大河内久綱の長男として武蔵国で生まれました。
徳川家光・家綱に仕え、1633年には六人衆、1635年には老中になるなど、大出世した大名です。
- 島原の乱平定
- 武家諸法度の改訂
- 参勤交代の制度化
- 鎖国の完成
など、日本の歴史に多大な影響を与えました。
わずか6歳にして
『大河内の名字では出世できないので、松平の名字をください』
といって、叔父・松平右衛門大夫正綱の養子となったそうです。
世渡り上手すぎるわ。
まとめ
西尾歴史マイスターの第3回学習会の内容をお伝えしました。
寺社仏閣は、その背景となる歴史を探る気持ちで行くとスゴイ楽しいですね!
愛する地元、西尾のことともなれば、なおさらです。
この記事を書いたひと
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税理士・1級FP。個人事業主や中小法人の税金のお悩みを解決したり、会計処理・税務申告の代行をやったりしています。 freeeが超得意で導入支援の実績多数。一般の方向けのやさしい税務解説記事を書けるのが強みです。詳しいプロフィールはこちら。
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