PROFILE

以後、ずーっと西尾市在住です。
- 税理士
- 認定経営革新等支援機関
- freee認定財務コンサルタント
- 弥生会計認定経営支援アドバイザー
- マイナンバー実務検定2級
- 初級システムアドミニストレータ
- 衛生管理者
- 運行管理者
- 危険物取扱者(乙4類)
- 西尾歴史マイスター
- 読書(フィクションは読みません)
- 歌うこと(車の中でしょっちゅう熱唱してます)
- 釣り(下手です。最近行けてない)
伴洋太郎が
税理士になるまで
税理士を志すまで
大学卒業後の2005年、安城市に本社をおく運送会社に就職しました。
ここで従事していたのは輸送原価低減活動です。
つまり、経理とかとも違う、まったくの畑違いでした。
そんな折、ふと不安がよぎったのです。
自分は今まで、何かを一生懸命やり遂げたことがあっただろうか?
それまでの私はというと、
- 高校は推薦入学
- 大学はセンター試験の結果だけで入学できるところ
- 就職も最初に内定くれたところ
と、努力とか競争とかを避けて生きてきたので、人に誇れる成果を残して来なかったのです。
勤めていた会社でも
とりあえず毎日怒られること無く過ごそう
(で、スキを見てサボろう)
てな具合のぐーたら社員でした。
このまま行けば定年までこの会社で務めることになる。
じゃあ仕事で成果を残して出世を目指すか?
いやそもそもこの仕事が好きで入社したわけじゃないし…。
そこで出した結論が、
「難関資格に挑んで合格し、自分が本当にやりたい仕事で、その道のプロになること。」
でした。
来る日も来る日も、資格の学校の講座案内を眺めます。
そこでたどり着いたのが「税理士」についてのページ。
- 「社長の一番の相談相手」
- 「企業の発展に貢献できるやりがいのある職業」
- 「企業のホームドクター」
魅力的な言葉の数々が、背中を押してくれました。
そして2009年に、愛知県碧南市の会計事務所へ転職するに至ります。
転職先では
- 中小法人のお客様
- 個人事業主のお客様
- 事業主でない個人のお客様
- 相続や贈与でお困りのお客様
を対象とした業務に従事していました。
以後、実務経験を積みながら試験に挑んでいきます。
税理士になるまで
税理士試験は合計11科目のうちから5科目に合格すると最終合格になります。
各科目の合格率は10%前後。
働きながらの受験ですと、毎年1〜2科目の受験が限度で
最終合格まで10年なんていうのも珍しくない世界。
ゆえに、途中で諦めてしまう受験生も多くいます。
最終合格までたどり着けるのは、全体の2%程度とも言われています。
それでも、「税理士になるんだ!」と宣言して前職を辞めた手前、引くに引かれず突き進むことに。
受験勉強にあたっては、すべてTACや大原といった受験指導校のWeb通信講座を利用していました。
2010年 財務諸表論合格
2011年 簿記論合格
2012年、2013年 合格科目なし! この2年間が一番卑屈になってました…。
2014年 法人税法合格
2015年 消費税法合格
2016年 国税徴収法合格を経て
2017年 2月22日に税理士として東海税理士会に登録されました。
独立開業を志すまで
今どき独立してゼロからお客さんをつくるとか無理ゲー(難易度が高すぎてクリアーするのが無理なゲーム、の意)だがね
税理士になるといって前職をやめたときも、試験合格を目指して勉強していたときも、資格を取れたら独立しよう! とは露とも思っていませんでした。
現代の日本では中小企業の開業率・廃業率はともに低水準で、税理士が新たにお客様を作るには厳しい環境なのです。
さいわい勤めていた会計事務所では重要な役職につけていただき、たくさんのお客様と関わり
転職を決断した自分を自分で褒めつつ、とってもやりがいを感じて過ごす日々。
税理士になることができ、試験勉強から開放された私は
「税理士なるため」に使っていた膨大な時間を「よりよい税理士であるため」に使おうと決めます。
- 税金や会計の分野に限らず、経営戦略やマーケティングなど、
経営に役立つ知識を得られる本を読む - 「税理士としてどうあるべきか」を積極的に発信している、
世代の近い税理士のブログを読む
そんなことを続けるうちに、ふつふつと想いはつのっていきます。
- 経営を考えることって、すごく楽しいことなんじゃないか。
- 税理士だって独立開業すれば経営者だよなあ。
辛いこともたくさんあるんだろうけど、楽しそうだな。 - 自分が経営者となって経験したことは、
そのままお客様へのアドバイスに活かせるんじゃないか。
当事務所の経営理念には、このときの思いが強く反映されています。
日々大きくなっていく想いは、個人事業主として活躍している同級生や同じ士業の先生方に後押しされ、
心の中の大部分を占めるようになります。
そして2017年 35歳の秋に、独立を決断しました。